AUTO-MOD活動中から寺山修司的前衛演劇への傾倒を強めていたGENETは、AUTO-MODの演出をより大規模に演劇と融合するため、元天井桟敷の福士恵二と共にBAJI WORKTHEATERなる劇団を旗揚げする。1985年4月には、ロックと寺山演劇の融合の初の大規模な試みとなる「時の葬列・終末の予感<第9夜>」を日本青年館で行い、このステージはAUTO-MODのライブと劇団BAJI WORKTHEATERによる前衛演劇が組み合わされたもので、AUTO-MOD史上最高のパフォーマンスであったとの声も高い。
1985年11月3日、AUTO-MODを後楽園ホールで葬ったGENETは、その後BAJI WORKTHEATERでの役者としての活動及び、その楽曲の制作に携わっていく。第二回公演「青ヒゲ公の城」では八人登場する青ヒゲの妻の第二の妻の役で艶やかなドレス姿を披露。第三回公演「ロックオペラ/ジル・ド・レイ」では、物語の水先案内人「ジュネ」という役で登場した。
この第三回公演「ロックオペラ/ジル・ド・レイ」のために書き下ろされた楽曲群は、後にヴェクセルバルグからサウンドトラックLPとして発表され、AUTO-MOD解散からGENETIC VOODOO結成までの空白期間における、GENET唯一の音楽的記録となっている。
しかし、この後GENETは演劇の世界から離れてしまい、BAJI WORKTHEATERは福士惠二によって活動を継続されていくものの、GENET自身は役者としての活動を停止する。しかし、この劇団に在籍した神林和雄や関根信二といった役者達は、後にGENET/ROCK OF ROMANCE等でもパフォーマーとして舞台に参加することになり、ロックと演劇の融合を試み続けるGENETの活動において、非常に大きな意味を持った期間であったと言うことができるだろう。