ロンドンから帰国したGENETは、帰国後直ぐにラディカルな主張と表現行為としてのロックを追求するバンドAUTO-MODを結成する。AUTO-MODというバンド名は、AUTOMATICとMODERNという単語を繋げたGENETによる造語である。その初期には、ファシズムへの嫌悪等政治色の強い歌詞が歌われていたが、その当初からGENETが発するデカダンでシアトリカルな要素がうかがえる。
メンバーの変遷が激しかった初期を抜け、1982年12月からはGENET(Vo.)、渡邉貢(B.)、布袋寅泰(G.)、高橋まこと(Dr.)という布陣で、飛躍的に音楽的向上を果たしたAUTO-MODであったが、停滞するシーンの閉塞感を強く感じていたGENETはAUTO-MODの解散を前提として、一定期間の凝縮した活動を行うというとんでもないアイディアを行動に移す。
AUTO-MODの解散へ向け活動を加速させたGENETは、シリーズギグ「時の葬列・終末の予感」を開始し、テレグラフ・レコードの傘下レーベルとしてヴェクセルバルグを設立。1985年1月にはメジャー・デビューを果たす。この頃には初期の頃のアンチファシズムの要素は影を潜め、13回の時の葬列を通じてAUTO-MODのファンはイースタニアという幻想国家の住人となり、AUTO-MODが解散をすることで幻想国家は消失し、イースタニアの住人達の個人の精神的解放を果たすという、何とも壮大な仕掛けを作りだす。
一方ライブステージでは、ロックと寺山演劇の融合の大規模な試みを行い、AUTO-MODのライブと劇団バジワークシアターによる前衛演劇が組み合わされていく。そして、1985年11月3日。後楽園ホールにて「時の葬列・終末の予感<最終夜>」が行われる。「聖体拝受伝説」と名付けられたこのステージでは、時代の徒花と呼ばれ続けたAUTO-MODの持つ見世物小屋的空間を多くの役者達と共に作り上げ、AUTO-MODはその5年半に及ぶ活動に自ら終止符を打ち、華々しく散っていった。
VOCAL : GENET
GUITAR : AKI / NOB ⇒ AKI ⇒ KATOH ⇒ 布袋寅泰 ⇒ YAMAZAKI ⇒ 友森昭一
BASS : SHINTARO ⇒ WAKA ⇒ 渡辺貢
DRUMS : YUZO ⇒ TEIYU ⇒ 高橋まこと ⇒ 浜一輝
KEYBOARD : HIROIKE ⇒ YOKOYAMA ⇒ SHINICHI FUKABORI ⇒ 朝本浩文
SAX : SHINICHI FUKABORI ⇒ 河野利昭 / MOTOTSUGU NEO ⇒ 河野利昭